2016年って、豊臣秀吉の生誕480年なんだって。
コンニショワー、砂流(@nagare0313)です。
2016年は「申年」。豊臣秀吉と言えば「サル」。
それでもって、豊臣秀吉の生誕480年。
生誕480年って、8度目の還暦になるらしく今年は縁起がいい年なんだそうです。
これだけ豊臣秀吉推しな2016年の読書にオススメなのが司馬遼太郎「太閤記」。
■他に類を見ない超実践型の参考書
豊臣秀吉の一生を綴った小説(天下統一まで。朝鮮出兵はナシ)なんじゃけど、秀吉の成り上がりがすごすぎて、商売のノウハウや上司との付き合い方、交渉術、発想法などなどが詰まった超実践型の本として仕上がっています。それを、退屈なビジネス文書ではなく小説として面白く読めるっていう特典付き。
読んでいくと、至るところにビジネスや人生のヒントになりそうな言葉が転がっています。何個かピックアップして紹介します。
・ビジネスや商売に対する考え方
我ら奉公人は、旦那に得をさせるためにある。旦那にはいちずに儲けさせよ。 奉公を商う。使われているのではなく、一個の独立した人間として自覚を持ち、奉公というのを請け負っている。されば松下屋敷の経費は出来るだけ縮め、主人に得をさせるのが自分の器量であり、誇りである
信長から禄という資本(もとで)を借り、その資本によって信長に儲けさせ、そのことのみを考えつづけた。 信長との主従の経済関係の形
ほどなく山陽山陰道を切り取ってみせます。しかしご恩賞などは要りませぬ。そのかわり九州攻めをおおせつけくださりませ。やがて九州は鎮定つかまりましょう。すべて上様の御威光でございますからご恩賞は要りませぬ。ご恩賞のかわりに九州を一年だけ支配させていただき、その米の収穫を兵糧とし、上様の公達お一人を奉じ、朝鮮大明に攻め入らせてくださりませ。大明を上様のご領地として、それがしは朝鮮を治めさせて頂きとうございます。--省略-- 信長の懐は一切痛まない。ない領地をとって金にするから。
褒められた時に、普段は言えないことを失言もあえていい、こういう目があることを気付かせる
・戦略や戦術について
秀吉の合戦は、敵を見たときにはもはや合戦のほとんどがおわっていた。あとは勝つだけであった。戦とは、そうあらねばならぬ。そう思っている。戦は勝つべき態勢をつくりあげることであった。味方を殖やし、敵の加担者を減らし、戦場に集結する人数は敵の倍以上ということを目標としていた。合戦のもつ投機性を減らし、奇蹟を信じず、物理的にかならず勝つ態勢へもりあげてゆく。かならず勝つ、という態勢ができてからはじめて戦をする。戦とは、それをはじめる前にすでに勝ってなければならぬ。
秀吉は鳥取城を落とす時に、白兵戦ではなく、部下に商人のふりをさせ東北が飢餓なのでこの土地の二倍で米を買うと米を買い占めうえさせた。二万人で包囲戦をする間に、商人を呼び二万人の客がいるから、芸ごとなどもやり、飽きないようにした。敵城のまわりにそれよりもさらに大きな城をつくり、その中に敵城をすっぽりと入れてしまう。敵城を巨大な牢のなかに入れてしまうようなもよであった。鱶が小魚を呑むのに似ていた。小魚は鱶の胃のなかで強烈な胃液に侵され、骨まで溶かされてしまう。これは城攻めの概念ではない。
・発想について
発想点の置き場所の違いが他のひとからみた時の意表となる。日本中のあらゆる武士の発想点とは違う場所に我が身をおいた
秀吉の発想は、つねに個人のごく個人的な武辺、武略というものをあまり重くみず、その者の置かれている状勢を重くみようとする
世間がどう思うかを常に気にした手をうつ。人質が欲しいわけではない、あの武将が人質を差し出したという事実が世間に広まることが重要である
こんな感じ。
こういうハッとなったり考えさせられることが至るところに散りばめられてます。商売もやって、信長って気難しい上司と付き合い、最後は天下を統一する。この一生が参考にならないわけです!
僕自身、秋葉原のパソコンショップのお店運営しとるときとか、メーカーの宣伝・広報をやってたときは豊臣秀吉の考え方や発想をかなり参考にしました。
「太閤記」は上下巻あって少しボリュームがあるけど、年始にどんなビジネス書を読むより自分の視界を広げてくれる1冊になると思います。歴史の勉強にもなるし、今年だからこその縁もあるし。
「三国志」とかもそうだけど、歴史小説って到底自分じゃ体験できないことを疑似体験できるし参考や指針になること多くていいよなぁ。
ほいじゃったら〜!
ほいじゃったら〜!